私の中の政治に対するモヤモヤへの回答

衆議院選挙が終わりました。

希望の党が立ち上がった時期には、野党が票を奪い合って自民党の現状維持だと考え、前原さんが民進党を分解した時には、希望の党の躍進を感じました。しかし、希望の党の政策には一貫性が感じられず、その対抗として設立された立憲民主党は、好意的に見られたまま投票日を迎えました。最終的には野党が票を奪い合って自民党の現状維持に終ったという印象です。ただし、自民党の現状維持は予想できましたが、ここまでの議席を獲得するとは思いませんでした。

 

安倍政権が続くと考えていましたが、モヤモヤする。

 

安倍政権の安保や秘密保護法、共謀罪を野党はひたすら批判してきました。「戦争」や「プライバシー」を前面に出した反対姿勢は、野党の支持に繋がっていません。私を含めた、政治に関係がない(政治を仕事にしていない)人は、「戦争」も「プライバシー」も普通の日常生活送る上では、何も影響がないと感じているのではないでしょうか。

今回の選挙で驚いたのは、希望の党が提示した、安保と改憲に賛成するかという問いに、民進党の多くの議員が乗ったことです。

あの大々的な反対は何だったのかと。

 

そして、今回の自民党の大勝は、皆が如何に野党の反対を冷ややかに見ていたのかを表しています。

現行の選挙制度自民党大勝の理由にし、実は自民党への支持は少ないと言ったところで、皆は批判のための論理だとしか考えません。

少なくとも、一度は民主党政権が誕生したのだから、何ともならないことはないでしょう。

 

と、これが今回の選挙の私の見方であり、自民党が大勝したことを客観的に書くとこうなると思うのです。しかし、こう書いたところで、私のモヤモヤは消えません。私のモヤモヤの元はもう少し別にあるような気がします。

 

政治はエンタメでいいじゃない?

私個人は、政治家は優秀な人が多いと思っています。そして、私を含めた庶民は、政治家に政治に必要な能力で劣ると思っています。しかし、そんな優秀な人たちが、庶民をお客のように扱って支持を求め、大衆は政治家を馬鹿にすらできるという図式があります。

またメディアも同様に優秀ですが、大衆はそれに乗らないという、同様の構図です。

政治家やメディアといった優秀であるはずの人たちに、表だって文句を言える、この構図の根源は、「憂さ晴らし」であり、「ひけらかし」です。

 

また、庶民は政治が「食い扶持」ではありません。食い扶持で無いものに、自分の仕事外の余暇の時間を注ぎ込んで勉強したくはありません。投票に行ってと言われても、政治に興味をもってと言われても、それを真摯に考える暇はないのです。「憂さを晴らし」にも「ひけらかし」にも本職の人に対して知識が足りず、しかし投票は迫られるというジレンマ。

そういった政治と仕事が無関係であり、「憂さを晴らしたい」層にも、「ひけらかしたい」層にも同等に、大物政治家や官僚に盾突いたり、一発逆転を狙うという劇的な政局が、頭とは裏腹に、心を打つのは仕方のないことだと思います。それをポピュリズムと批判されても、評論家やジャーナリストのように仕事ではなく、強力な思想信条を持っていない私たちには、どうしようもないのです。

であるなら、ジレンマを抱えて悩むくらいなら、政治は余暇の楽しみだと考えてしまえば良い。

 

安倍さんについては、元々民主党政権と不景気を退治するヒーローとして支持されました。そして、民主党が倒れた後も、巨悪としての財務省やメディアや左派と戦っているという演出を続けているのだと思います。

民主党政権時代を執拗に攻めるのも、自民党側から歴史を編纂し、前王朝を叩いているようにも見られます。民主党政権時代は全くダメだったと信じてますが、具体的にはどうダメだったかとなると、ふわふわしていますし、それ以前の自民党はダメではなかったのでしょうか?

そう考えると、安倍首相は庶民の実態を捉えた上で、敵を想定し、娯楽を提供することを意識的にやっているのかもしれません。

野党の反論は想定内であり、プラカードを掲げて怒号を上げながら議長に詰め寄る野党は、安倍首相に戦術にまんまと乗っているのではないでしょうか。下手をすると、安倍政権の敵を鮮明に、滑稽に表現してしまっています。

 

今回の選挙結果から分かることは、庶民にとって今だに安倍さんは巨悪ではありません。上記の安保や秘密保護法、共謀罪についても、一般の人はそれ程悪だと認識していないのです。野党は仮想敵が世間と一致するまで待つか、敵を変更するしかないのです。或は、小池さんと前原さんが熱演したような逆転劇に可能性を見出すしかないと思います。

 

 

 

と、かなり不真面目なことを書きましたが、以上は全部冗談なので、真に受けないで下さい。日本の政治に憂いております。