日本人の『戦術』好き

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日本人の『戦術』好き

日本人は『戦術』が大好きです。

決められたルールの中で、一芸に特化した個人技で相手に対峙することが大好きです。

または、英会話・ペン習字等の習い事をして、それを仕事に生かそうと頑張ります。

技術大国日本を自負し、磨かれた技術に美しさを覚えます。

 

こんな話も聞きました。

第二次世界大戦での日本は、「大東亜共栄圏」という“世界観”をもっていました。良い悪いは別として、その旗印の下に中国と東南アジアに侵攻することになりますが、なぜか海軍が真珠湾を攻撃し、アメリカとの太平洋戦争に突入します。陸軍と海軍の対立の結果だそうですが、その当時アメリカはフィリピン独立を承認しており、日本が欧米の植民地支配からのアジアの解放を目的としているのなら、アメリカとの戦争を避け、シンガポールからインド方面へ侵攻すべきだったのです。

これでは、「大東亜共栄圏」という旗印も、侵攻の口実に聞こえてしまいます。『戦略』を軽視した結果なのか、口実なのかはわかりませんが、最前線で戦われた兵士たちの質や零戦に代表される技術力、米軍が認めた空母による戦闘機の運用の先進性等は、日本の『戦術』の見事さを証明しています。

 

『戦術』は見事だけれど、『戦略』は得意ではない。

 

 日本人の「道」好き

日本人は「道」が大好きです。

茶道・華道・柔道・剣道と道がつく文化的なものだけでなく、どんな芸能や競技に至るまで、自分の取り組んでいる事柄に対し、「道」を設定し、その先に「真理」を見つけようとします。それは、人間の「真理」から、究極には宇宙の「真理」すら、個々の「道」を極めることで発見できると感じられるからだと思います。

例えば、禅僧である雪舟水墨画を描き、夢窓疎石は作庭を行います。禅僧は座禅・瞑想を行うことで大悟することが目標であり、なにも水墨画を描いたり庭を作ったりする必要はありませんが、「道」の概念と照らし合わせるとその訳も理解できます。

では、ツールであるはずの、雑に言うと趣味や仕事は、“戦略の階層”では下位に位置します。ですが、その下位に位置する事柄でも「道」と捉えて突き詰め、“世界観”を形成することができれば、戦略として完成します。

 

この「道」の考え方が、日本人が『戦術』を好きな理由でしょう。