現実の雪合戦と異世界の積み木

最近頭上を、砲弾が飛び交っているような感じです。北朝鮮のミサイルの話ではありません。

意識をして見ると目に映りますが、大体の人が意識せずに過ごしています。なんのことかと言いますと、右と左の論争です。

Twitterを見ていると嫌でも目にする、攻撃的な言葉の応酬を、何となく観察することに、最近の興味が奪われているのです。だんだんその砲弾が雪の玉に見えてきて、頭上の雪合戦だと思い込むと、混ざりたい気持ちになります。混ざらないですけどね。

面白いのが、右にも左にも雪玉を投げているのに、両方から攻撃されると嘆いている人です。なんで混ざるかな。

 

一般的な生活をしていると、そんな政治的な話は話題にならないです。皆、現実に一生懸命で、左だとか右だとかは、異世界の話のように感じていると思います。

雪合戦を行っている人達も、右や左が、実生活に絡み合っている人の方が少ないと思うのです。そうした、現実の当事者でない参加者の人って、つまり異世界に論理を積み上げているイメージ。

物書きやコメンテーターや、その論理が現実と絡み合う仕事の人なんかは、積み上げた物を崩すことは簡単ではない。虚実ないまぜの積み木が、一つでも抜けたら、全部崩れてしまうから。

でも、現実に絡まない人は、その積み上げた物と距離をとることができます。現実に積んである積み木と、異世界に積んである積み木みたいに。

 

それでは、異世界の両側、左にも右にも、積み木を積んで眺めてみようかなと思うのです。異世界だからと、全く関係ない態度も取れますが、一応両側に論理を積んでみる。多分、無理な積み方をしている場所もあると思います。同じニュースを聞いても、左右で、論理の積み木を補完するように、全く真逆の解釈を行うかもしれない。

無理な積み方をせず、無理となればその積み木は一旦置いておき、また新たに積み木を置いてみる。

低く積んである積み木なら、真ん中に立っている人達からの賛同を受け安いと思うのですが。どうでしょうか。